初期の写植機は、全て手動で歯車を回して1文字ずつ印字しなければならなかったが、次第に電子化されモーター駆動で印字位置を制御するようになっている。また、当初は感光材を現像処理してみないと、文字の印字間違いである誤植の有無も分からないし、正しく文字組みされているかどうかも分からず、印字状態を確認しながら作業することはできなかった。
その後CRTが取り付けられ、モニタ画面に印字状態を表示し確認しながら作業できるようになった。このように、何度も改良され作業性の向上と組版の高品質化が図られたのである。このタイプの写植機を手動写真植字機という。手動写植機は電子化され独自の進化を遂げたが、最終的に人が文字盤から採字して1文字ずつ印字するという点は、最後まで変わらなかった。生産性向上への対応は、電算植字システムの登場を待つことになる。
※石井茂吉と森澤信夫は、その後別の路線に分かれ、各々独自の写真植字機と写植書体を有する写植メーカーを創設する。それが、石井の創設した「写真植字機研究所」(後の「株式会社写研」)と、森澤の創設した「株式会社モリサワ写真植字機製作所」(後の「株式会社モリサワ」)である。