
30年前のデータは、なぜ残っていないのか
そして私たちは、30年後に何を残すのか
先日、約30年前に制作されたパンフレットを復刻する仕事の実績を記事化するため取材をしました。
印刷物そのものは、30年の時を経ても残っていました。しかし、それをつくったデータは残っていませんでした。
30年前といえば、1996年前後。私自身、ちょうどDTPの現場に立った時代です。DTPへの移行期だったとはいえ、当時のデータがほとんど残っていない。仮に残っていたとしても、そのままでは開けない、使えない。
その現実に、正直、愕然としました。
デジタルデータは劣化しない。一度保存しておけば、いつまでも残る。どこかで、そんな感覚を持っていたのだと思います。
しかし実際には、30年前の印刷物は今も手に取って見ることができる一方で、それをつくったデジタルデータは失われている。あるいは、残っていても利用できない。
紙よりもデジタルデータのほうが先に失われていた。
その事実は、DTPの現場にいた自分にとって、かなり衝撃的なものでした。
では、なぜ30年前のデータは残らなかったのでしょうか。
そして、今の私たちがつくっているデータは、30年後に残っているのでしょうか。
1996年、DTPはまだ「環境ごと使う」時代だった

1996年前後、印刷・制作の現場ではMacintoshを使ったDTPが急速に広がっていました。レイアウトにはQuarkXPressやPageMaker、画像処理にはPhotoshop、図版制作にはIllustratorが使われ、データの受け渡しにはMOやSyQuest、フロッピーディスクなどが使われていました。CD-Rもすでに存在していましたが、一般的な記録媒体として広く普及していくのは、まさにこの頃からです。
今のように、完成したPDFをひとつ送れば印刷できるという環境ではありません。
レイアウトデータ、配置画像、Illustratorの図版、使用フォント。それらを開くためのアプリケーションやOS、さらに出力環境まで含めて、初めて正しく再現することができました。
つまり、当時のDTPデータはファイル単体で完結するものではなく、複数のデータと制作環境の組み合わせによって成立するものでした。
そのため、データそのものが残っていても、環境が失われれば使えなくなります。MOがあっても読むドライブがない。データを取り出せてもアプリケーションがない。ファイルを開けてもフォントがない。レイアウトデータは残っていてもリンク画像がない。
「データが残っている」ことと、「現在も使える」ことはまったく別の話なのです。
30年前のデータは、どれくらい残っているのか

「1996年頃に制作された印刷データの何%が現在も残っているのか」という正確な統計はありません。そもそも、「残っている」の定義自体が難しいからです。
記録媒体が残っている状態。ファイルを取り出せる状態。中身を確認できる状態。そして、現在の環境で再編集し、再印刷できる状態。これらはすべて違います。
仮に30年前の仕事について、「電話番号だけ変更して、もう一度印刷してください」と依頼されたとき、そのままデータを開いて修正できるものがどれほど残っているでしょうか。おそらく、そう多くはないと思います。
30年間という時間の中で、記録媒体は変わり、OSは変わり、アプリケーションは変わり、フォント環境も変わりました。保存されていたとしても、利用するための前提条件が失われてしまったデータは少なくないはずです。
PDFが「完成形」を残せるようにした
30年前と現在の大きな違いのひとつに、PDFの存在があります。
1996年当時にもPDFそのものは存在していましたが、現在のように印刷データの受け渡しや最終保存の中心になっていたわけではありません。
当時の印刷制作では、デジタルデータの先にフィルムがあり、その先に印刷物がありました。制作データは、完成品そのものというより、完成品をつくるための途中の情報という位置づけに近かったのだと思います。
現在であれば、制作データとは別に最終版のPDFを残しておくことで、元のアプリケーションが使えなくなったとしても、少なくとも「そのとき何をつくったのか」は確認できます。
PDFは、制作環境からある程度切り離して、完成した姿を保存できるようにしました。
だからこそ現在は、30年前よりも「完成形」を残しやすくなっています。
一方で、PDFだけでは再編集できないこともあります。元画像や制作データがなければ、修正や再利用は難しい。つまり、完成形を残すことと、再利用できる状態で残すことは、やはり別の問題です。
当時の人たちは、保存を軽視していたわけではない

ここで注意したいのは、30年前の人たちがデータ保存を軽視していたわけではないということです。
必要なデータはMOやハードディスクに保存し、再版の可能性があるものは保管していました。当時なりに、きちんと管理していたはずです。
ただ、それが30年後にどうなるかを、本気で考えていた人は、それほど多くなかった。
30年後にMOドライブがほとんど使われなくなること。当時のアプリケーションが動かなくなること。フォント環境が大きく変わること。そして、30年前の制作物をもう一度使いたいという需要が生まれること。
そこまで予測することは難しかったと思います。
当時のデータは、その時の仕事を完成させるためにつくられていました。30年後の誰かに渡すためにつくられていたわけではありません。
では、現在のデータは30年後に残るのか
2026年。私たちの制作環境は、30年前とは大きく変わりました。
PDFがあり、クラウドがあり、大容量のストレージがあります。サーバーには何年分ものデータを置くことができ、バックアップも自動化できます。
データを保存すること自体は、30年前よりもはるかに簡単になりました。
その一方で、私たちは今、印刷物だけでなく、Webサイト、写真、動画、企画書、メール、チャット、修正履歴、顧客とのやり取りなど、膨大なデータを日々生み出しています。
すべてを保存することはできても、必要なものを見つけ出せるとは限りません。どれが最終版なのか。何の案件に関するものなのか。なぜその判断をしたのか。そうした情報がなければ、ファイルは残っていても活用できません。
30年前は、データそのものが残らないことが問題でした。
これからは、大量のデータが残っているにもかかわらず、何がどこにあるのかわからず、使うことができないという問題が起こるのかもしれません。
では、私たちは何のためにデータを残すのでしょうか。
その問いを考えたとき、30年前にはなかった存在が、今はあります。
AIです。
30年後に残すべき知識資産
これまで、制作データを残す主な理由は、再版や修正に備えることでした。
しかし、AIの登場によって、過去のデータの価値は変わり始めています。
例えば、長年の制作物や提案資料、顧客とのやり取りが整理された状態で残っていれば、AIを使って、過去の似た案件を探したり、提案の傾向を分析したり、これまでの判断を振り返ったりすることができます。
「この顧客には、これまでどのような提案をしてきたのか」
「過去の成功事例には、どのような共通点があるのか」
「採用された案と、採用されなかった案では何が違ったのか」
これまでは、担当者の記憶や経験の中にしかなかった情報を、組織の知識として再利用できる可能性があります。完成した制作物だけでなく、採用されなかった案、途中で変更された提案、失注した案件、判断の経緯にも価値が生まれます。
過去のデータは、必要になったときに探すだけの「保管物」から、未来の判断に使う知識資産へ変わろうとしています。
今度は、私たちが「30年前の人」になる

30年前のパンフレットは残っていました。
しかし、それをつくったデータは残っていませんでした。
その現実に直面して初めて、30年という時間の長さと、デジタルデータを残すことの難しさに気づかされました。
そして今度は、私たちが30年後から振り返られる側になります。
2056年の人たちにとって、2026年のデータはどのような価値を持つのでしょうか。
正確に予測することはできません。
だからこそ、未来の用途を決めつけるのではなく、未来の人やAIが理解し、再利用できる状態で渡していくことが必要なのだと思います。
30年前、データは仕事を完成させるためのものでした。
これからは、未来の知識をつくるために、データを残す。
そんな考え方が必要になるのかもしれません。

